こんにちは。
久しぶりの更新です(^-^;
日本橋小伝馬町に写真の「処刑場」が、ありました(^-^;
現場の近くにこんな場所があるとは・・・。
調べましたら、下記のとおりでした・・・。
ここには大安楽寺、身延別院、
村雲別院それに延命地蔵が建っている。 明治初年紀州高野山桜地院から出て麻生(あざぶ)市兵衛町(いちべえまち)の不動院の住職となった山科俊海(やましなしゅんかい)和尚は浅草方面への往還の途上、偶(たま)に伝馬町牢跡の草茫々(ぼうぼう)たる中に燐火(りんか)が燃えているのを見て、無数の無告の霊が鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう、恐ろしい気がせまるようす)として寄る辺(よるべ)ない有様に感じ入り、維新の志士たちの菩提をも弔(とむら)わんと発起し明治8年から15年まで東京市内を勧進した。
集まった金は穴倉に貯えたが、5千円に達したので、先ず半金で土地を買った。その頃、地価は一般は百円であったが、牢屋敷跡は不浄地の故、坪3円50銭であった。残り半金で寺を建立した。明治15年の創建で真言宗高野山派別格本山で弘法大師の像を祀り新高野山と号した。